落成について

幸い工事は工期どおり無事に終了し、1978年(昭和53年)3月31日、晴れて横浜スタジアムは完成。同年4月4日に杮落としとなる横浜大洋ホエールズ(移転により改称)−読売ジャイアンツの公式第1回戦が行われ、前年新人王の斉藤明雄の力投により地元大洋が4-1で勝利して花を添えた。この試合の始球式は、前市長として建設に尽力した飛鳥田一雄(この時の肩書きは日本社会党委員長、弁護士)が行っている。ロッテ共用問題 [編集]横浜スタジアムの着工が正式に決定した頃、ロッテオリオンズは大洋球団に対し、「横浜スタジアムをロッテも本拠地として共用し、年間40試合前後の公式戦を開催したい」と申し入れを行った。1972年(昭和47年)に本拠地の東京スタジアムを失ったロッテは、この頃は宮城県仙台市宮城球場を一応の専用球場としていた。しかし、東北新幹線は未開通、航空機も今ほど気軽に利用できる交通手段ではなかった時代であり、6球団中4球団(南海・近鉄・阪急・クラウンライター)が西日本に本拠を置き、さらに各球団とも現在とは比べ物にならないほど観客動員数の低かった当時のパ・リーグでは、カード毎の長距離移動はロッテ・ビジターともに選手の肉体面や経費の面で大きな負担であった。それゆえ、世間では首都圏に新たな球場が確保できればいずれロッテは仙台を捨てるだろうと考えられており、事実、横浜スタジアムの建設はロッテオリオンズにとってまさに渡りに舟と言える出来事であった。

しかし、横浜スタジアムの単独使用を既定路線として進めていた大洋球団は、共用によって日程上の制約を受ける事を嫌いロッテオリオンズの申し入れを拒否した。このとき大洋球団は既に川崎市に対し正式な移転通告をしていたため、プロ野球興行がもたらす経済効果を得たい横浜市と、それを喪失したくない川崎市、全国2位の人口を誇る大都市横浜で集客を伸ばしたい大洋球団とロッテオリオンズ、以上4者の思惑が交錯し、マスコミ等世間も注目する中[16]で竣工間近まで交渉が続いた。だが、すでに神奈川県における地域保護権を持つ大洋球団の優位は最後まで覆らず、当初の予定通り横浜スタジアムは大洋の専用となり、ロッテは川崎球場に落ち着くこととなった。本拠地問題が収束した後も、大洋球団が横浜移転発表前後に配慮を行わず紛糾を呼んだ経緯などから、川崎市と大洋球団は半ば絶縁状態となった。このため、大洋(横浜)球団の川崎球場での公式戦は横浜移転後の1978年から1992年まで開催されず、1993年(平成5年)には16年ぶりに阪神タイガース戦が1試合のみ日程が組まれたものの雨天中止となった。結局、大洋・横浜の公式戦はついに一試合も行われることはなく[18]、2000年(平成12年)に川崎球場の観客席は閉鎖・解体された。

建設後の主な改修
デーゲーム・スコアボード
ナイトゲーム・スコアボード
ライトスタンド側・照明塔横浜スタジアムは、完成後現在に至るまでの間に幾度も改装を受けている。
1978年 シーズン途中、ダッグアウト前にフェンスを設置
1989年 スコアボード大規模改修。選手名・得点表示部は、選手名・回数ごとに分割して表示部が設けられていたが、全面連結表示になり、光源も白熱球からLED(発光ダイオード)となった。また、映像表示部は動画も橙単色で写していたが、フルカラー式のものに改められた
1998年 内野人工芝張替え
1999年 スコアボード改修(東芝ライテック製:スーパーカラービジョン)。選手名・得点表示部分を橙単色LEDから3色(赤・緑・橙)LEDに変更。映像表示部も解像度の高い画面に交換。外野席をベンチシートから背もたれ付コンパートメントシートに換装。全席禁煙化。また、開場以来のメインスポンサーであった日産自動車が経営不振により撤退し、トヨタ自動車が日産に替わってその座に着いた。その影響で、スコアボード上端の広告が日産の「LIFE TOGETHER」からトヨタの「クルマが未来になっていく。」に改められている。2008年現在では「Drive Your Dreams.
2001年 外野人工芝張替え。リリーフカーも10年ぶりに代わり、開場以来の日産車(最後は日産・エスカルゴの改造車)からトヨタMR-Sの改造車に変更。
2002年 ベイスターズの親会社がTBSになったことに伴い、スコアボードの端にTBSの広告を掲示
2003年 内外野人工芝を、アメリカのメジャーリーグやサッカーの競技場の天然芝球場風の着色が施され、限りなく天然芝に近い感触とされる「フィールド・ターフ」に張替えた。
2004年 球場内ミニFM放送「FMハマスタ」用の放送ブースを、バックネット裏最上段に設置。
2005年 内野スタンドから、バックネット以外のフェンスを撤去。また、開設時からライトスタンド中段に設置された電子オルガン[19]ブース[20][21]も撤去。これによりライトスタンドの席数が若干増えた。そのほか、レストランやトイレ等、コンコース内の施設を改修した。
2006年 外野フェンスラバークッションの高さをフェンス上端までかさ上げし、クッション厚も変更。ブルペンのマウンド数を一塁側・三塁側とも2箇所から3箇所へ増設。バックネットに広告表示用のLED画面(ファンケル化粧品協賛の広告を掲示)を設置
2007年 バックネット裏[22]の座席を従来のオレンジ色のシートからベイスターズのチームカラーでもあるブルーのシートに変更。シートも跳ね上げ式になり、座席幅・間隔も10cm近く拡張される。その分座席数は2,000ほど削減されることになった。削減分は内野席最上段に立ち見スペースを設けることで、30,000人の収容能力を維持している。また、従来はスコアボード下のみにあったスピーカー設備を内野照明灯(4カ所8個)下にも設置した。
スコアボードの改修 [編集]スコアボードは白熱球を使用していた時代(1988年まで)のレイアウトは川崎球場に似たタイプで、左上がスコア、右上が自由表示ディスプレイ、左右下をメンバー表示にあて、中心に大時計・カウント・審判名を表示した。最上部は左に「YOKOHAMA」、右に「STADIUM」の表記が入る。なお得点は1回-延長10回までのスコアを表示し、11回からは改めて表示をクリアして1回のところから表示し直す方式だった。
1989年(平成元年)の改修で橙単色LEDが使用された時代は延長戦の場合はそれが行われるイニング分左にスライドしていく形(例えば延長10回が行われる場合、1回のスコアが消去され2回〜10回のスコアが表示される)だった。スコア上部には試合の経過時間(2008年以後、スピードアップ作戦のための奨励〔イニングス交代は2分15秒、投手交代を伴うものは2分45秒以内に再開させる〕により、インターバル時間も表示)が出されている。
1999年(平成11年)の改修でカラー化されてからは再び10回まで表示され、11回以後は改めて表示をクリアし、対戦チームの横に10回までのスコア、そしてその右隣に11回〜18回のスコアを表示できるようにしている。
2010年(平成22年)より球審のカウントコールの順番が変更された(国際慣習準拠)のに伴い、ボールカウント表示をストライク、ボール→ボール、ストライクの順に変更。日本のプロ野球本拠地では初である。

過去に起きた新球場建設の動き
近年は横浜スタジアムに替わる新球場建設の動きも見られた。

新鶴見操車場跡地の利用
1990年代の初めには近郊の新鶴見操車場跡に新球場を建設することを目指し入札手続の準備を進めたが、入札に参加しなかったためそれが頓挫したこともあったといわれている。

横浜ドーム構想
横浜ベイスターズ横浜大洋ホエールズ)が、この球場を本拠地としてから初めて本格的な優勝争いに加わった1997年(平成9年)から優勝した1998年(平成10年)にかけて、多くのファンが大挙して横浜スタジアムへ集うようになった。特に1998年(平成10年)はゴールデンウィーク以降、どの対戦カードも公式発表で2万人を超える入場があり、当日チケット発売なしの試合も決して珍しくなかった。このため、チケットを買いそびれたファンからは横浜スタジアムの収容観客数の少なさが叫ばれ[24]、入場できたファンからも施設の狭さに対する不満が続出した。これに乗じた高秀秀信横浜市長(当時)は、みなとみらい21地区[25]に多目的ドームを前提とした新球場建設を提案し、横浜商工会議所等の地元経済団体も呼応する動きを見られた。しかし当初から、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)など他都市で多目的ドームの経営失敗例が生じたことや、横浜アリーナ等の既存施設と完成後の使用目的が一部競合することなどから、ベイスターズファンであるなしを問わず、多くの横浜市民が多目的ドームの必要性・採算性に疑問を持っていた[要出典][27]。それに加え、2000年代に入るとベイスターズの成績がふたたび低迷し観客数も減少。さらに2002年(平成14年)、主唱者であった高秀が市長選に敗れて退陣し(その直後に死去)、新市長に就任した中田宏によって横浜市が不要不急な公共事業を凍結する政策に転換したこともあり、新球場構想はたちまち頓挫した。その後、高秀の構想によって新球場建設予定地と目されていた西区みなとみらい6丁目の広大な空き地は、日産自動車との定期借地によりJリーグ横浜F・マリノスの練習場・クラブハウス(マリノスタウン)、ならびに横浜市横浜みなとみらいスポーツパーク(管理・運営は(財)横浜市スポーツ振興事業団)となった。

交通機関
JR根岸線 関内駅 南口より徒歩3分
横浜市営地下鉄ブルーライン 関内駅 1番出入口より徒歩5分
JR根岸線 石川町駅 北口より徒歩5分
横浜高速鉄道みなとみらい線 日本大通り駅 横浜スタジアム口より徒歩3分
横浜市営バス 横浜スタジアム前・市庁前・内駅北口・尾上町羽衣町停留所