大正12年に関東大震災により横浜港は壊滅的な被害を受ける

復興事業は市長・有吉忠一の指揮下、神奈川県と横浜市、生糸商などの横浜商人をはじめとする市民らにより国の力も借りて進められた。この事業により生糸検査所、ホテル・ニューグランド、神奈川県庁庁舎(キングの塔)、横浜税関庁舎(クイーンの塔)や瓦礫を利用して造成した山下公園など今の横浜を代表する建築、名所が造られた。事業のための巨額の資金はアメリカでドル建て市債を発行して賄ったが、この膨大な負債はその後長く市財政を圧迫した。

昭和に入ると京浜工業地帯が形成され、その発展に伴い横浜港は生糸貿易港から工業港となりつつあった。昭和10年、日産は横浜市から買収した埋立地に本社工場を完成させ自動車の生産を始めた。昭和初期は製鉄、造船、自動車、電機などの軍需産業が発展し横浜港はその重要な拠点となった。昭和16年12月には太平洋戦争が始まり、横浜は翌昭和17年4月18日にアメリカ軍から初空襲を受けた。その後、終戦までに横浜は30数回の空襲を受けるが臨海部の工場や港湾施設の被害は比較的軽かった。昭和20年に終戦を迎え、横浜港と横浜の市街地は連合国軍に接収される。特に横浜港の港湾施設はその90%が接収され、横浜の戦後復興を遅らせた。

昭和27年、講和条約が発効し横浜港の接収が解除され始める。先立って昭和25年に接収解除された高島ふ頭を足がかりに京浜工業地帯と横浜の復興は始まり、外国貿易も回復し始めた。輸入の激増により、横浜港の外国貿易量は昭和32年には戦前のピークである昭和12年を上回る。横浜港の輸入品は終戦直後は食料品が占め、後には石油、金属、鉄鉱石、石炭が増加し輸出品は鉄鋼、車両、機械類が占め工業港としての性格を強めた。

昭和43年にはコンテナ専用埠頭である本牧埠頭が造成され、コンテナ船が入港し始める。1970年代にかけ一時世界最大の取扱個数を有していた神戸港と共に、日本着発の国際コンテナ物流を支えた。だが世界規模で急速に進んだ海運のコンテナ化への対応では、東京湾内におけるコンテナターミナル整備で大井埠頭を急速開発した東京港に後れをとった。神戸港阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けた平成7年以降は外貿コンテナ取扱個数で国内首位となったが平成10年に東京港に抜かれ、現在は国内第2位。在来・素材貨物を含む総取扱貨物量では名古屋港と千葉港に次ぐ国内第3位となっている。

横浜港で陸揚げされたコンテナはトラックに載せられ、本町通りを通って各地に運ばれた。そのため、本町通はコンテナ街道と呼ばれるようになった。これにより渋滞が頻発したため本町通を通らずに直接高速道路に入れるよう、横浜港周辺の道路整備が求められた。横浜港を代表する建築となっている横浜ベイブリッジもこの道路整備の一環として平成元年に建造された。

▼現在の横浜港
貨客船定期航路の衰退した1960年代後期以降は定期客船航路が減少する一方、東京港の客船埠頭整備が進み東京港や川崎港がフェリー港としての役割を担った。そのため横浜は日本における主要な旅客港ではなくなり、クルーズ客船の寄港数も常に神戸港東京港・大阪港より少なかった。市内からこの現状を憂う声が挙がり新しい国際客船ターミナルの竣工とワールドカップ日韓大会開催に合わせ、クルーズ客船の寄港誘致に市をあげて積極的に乗りだした。着岸料金の半額を横浜市が負担するなどした結果、平成15年度の横浜港の日本船籍クルーズ客船の寄港数は初めて国内最多となり、現在までその地位を堅持している。ただし外国航路の乗降客数は国際定期航路を有する大阪港や神戸港などに比べると少なく、大阪港の7分の1程度に留まる。また国内航路の乗降客数もフェリー航路を有する神戸港東京港・大阪港の20分の1〜30分の1程度である。

現代の国際海上物流の主流であるコンテナ輸送への対応では本牧埠頭、大黒埠頭、南本牧埠頭で大型コンテナターミナルが相次ぎ建設されたが国内外の大手船会社の再編集約によって1990年代から一部埠頭で空きバースが生じ、それらは自動車船用ターミナルなどに用途転換されている。現在は日本の大手船社が日本国内におけるコンテナターミナルの主力を東京港としているため、日本船社にとって横浜港は東京の補助ターミナルとしての位置づけである。逆に外国船社では世界最大のコンテナ船社、デンマークのマースクラインが同社にとって日本国内最大の物流拠点を南本牧埠頭に構えるなど外国船社主体の利用状況となっている。

▼記念事業
横浜市開港記念会館が建設された。横浜市歌が発表された。

昭和36年には100周年記念事業の一環として横浜マリンタワーが建設された。このマリンタワー灯台でもあるが(灯台としては世界一の高さとしてギネスブックに記載)、多くの観光客でにぎわった。しかし、2006年に集客力が減少したことから一時閉鎖された。

横浜博覧会が横浜市制100周年、および開港130周年イベントとして1989年に開催された。

2009年には、開港150周年記念事業として、マリンタワーの再整備、開国博Y150の開催、象の鼻地区の公園整備など、行われた。