応援スタイルを解説

トランペット・ドラム(太鼓)・選手別応援歌・応援メガホンやバットの使用・ユニフォーム着用などは他球団の多くと同様だが、トランペットなどの楽器は応援には珍しい二重奏を用いている。独特な旋律は応援歌の枠を超えて他球団ファンにも人気がある。移籍して入団する選手が口を揃えて「横浜のファンは大人しい(紳士的)」と言うなど、他球団の野次合戦とは一線を画し応援についての申し合わせを遵守している。
以下は2010年時点のもの
本拠地・横浜スタジアムでは試合前イベントの時間を確保する都合上、スタメン発表時に応援歌演奏(1-9)を並行して行っている(メンバー発表→応援歌演奏→メンバー発表→応援歌演奏…の繰り返し)。このスタイルは相手チームも同様に行っている。得点時には「熱き星たちよ」が演奏される。ホームラン時、勝利時にはその前にファンファーレが演奏される。代打登場時には1回だけ代打のテーマが演奏される。佐伯貴弘村田修一については、代打で登場した場合でもファンファーレが優先される。投手の打席では投手用のテーマが演奏されるが、三浦大輔の打席に限り固有のテーマが演奏される。過去には斎藤隆野村弘樹・パット・マホームズライアン・グリンに対しても固有のテーマが演奏された。以前は選手別応援歌CDが発売されており、これらの曲が用いられていたが、次第に元選手からの使い回しが増え、球団で流れることのない応援歌の方が多くなってしまった[23]ことから2002年を最後に制作されなくなった。近年入団した選手では応援団が作成したテーマや、過去のあまり使用されなかった選手のものを流用するなどしている。

チャンステーマ演奏時や太鼓が使用できない神宮球場ナイトゲームでは、応援メガホンやバットを用いず手拍子での応援が行われている。7回の攻撃時には、ホームでは「熱き星たちよ」の映像が流され、ビジターでは「WINNING」が応援団により演奏される。多くの球団で行われているジェット風船横浜スタジアムで禁止(ポイ捨て禁止条例抵触等の理由により)されているため、ビジター・地方球場でも(勝利時も含めて)飛ばすファンは少ない。アウトコールは9回以降にリードしている場面に限り行われる。2007年より試合時、1-9の前に「勝利の輝きファンファーレ」が演奏されるようになった(初期のころはビジターのみ)。トランペット、及び笛の使用が禁止されている宮城球場では、メロディー部の口喇叭を含め応援歌の歌唱をアカペラで行う。ヒットによる出塁や盗塁時に「いいぞいいぞ○○(人名)」を、四死球や野手選択など相手のミスによる出進塁時に「Let'sGoLet'sGo○○(人名)」を通常の三三七拍子に変えてコールする。宮城球場以外でも、鳴り物応援を自粛する22時以降にはこの応援を行う。ヒットでの出塁の際はファンファーレ(三三七拍子)の後に、ヒットを打った選手の名前をスリーコールする。

ターメル・スレッジには、交流戦においては日本ハム時代の旧テーマと横浜時代の新テーマ(かつて在籍したデーブ・ドスターの公式応援歌)を交互に演奏する。私設応援団[編集]横浜球団ではNPB特別応援許可を受けた以下の団体が応援を指揮する。

横浜ベイスターズを愛する会
全国星覇会
湘南海坊主(SHONANSEABOSE)
戦績
1998年の日本シリーズ横浜スタジアムでの胴上げ(1960年は大毎の本拠・後楽園球場)を果たしているが、リーグ優勝はいずれもビジターでの達成(1960年、1998年ともに阪神甲子園球場)である。現存するセ・リーグ6球団の中で唯一のシーズン勝率6割未到達球団。最高勝率は優勝した1998年の.585。現存するセ・リーグ6球団で唯一生え抜き監督によるリーグ優勝が1度も無い。これは生え抜き監督が極端に少ないことによる(後述)。また、これらの生え抜き監督はリーグ優勝どころかAクラスも1度も記録していない。日本シリーズ出場は2回しかないが、その2度とも日本一を達成し勝率100%。現存の12球団のうち、出場していない楽天を除く11球団の中で唯一シリーズ敗退が無い。現存するセ・リーグ5球団全てに対して通算対戦成績が負け越している。セ・リーグ発足時には同じ弱小チームだった広島や国鉄・サンケイ・(東京)ヤクルトに対しても、広島には1960年代までは勝ち越していた時期があったが、70年代中盤の広島黄金期樹立により逆転(初のリーグ優勝を達成した1975年から10年連続の負け越しを喫した)し、ヤクルトに対しても1980年代には6シーズンも勝ち越す(1981年、84年、87年はタイで、負け越したのはヤクルトが昭和最後のAクラスシーズンでもあった1980年だけ)など、1979年時点では5つの負け越しから逆転したが、1990年代のヤクルト躍進と21世紀に入ってからの横浜の低迷によって勝敗が再逆転した(特に1993年には4勝22敗と大きく負け越し、90年代全体の負け越しの半分以上を占めた)。

現存するセ・リーグ6球団の中でAクラス入り回数が最も少ない(2010年終了時点で15回)。こちらも広島には1980年代初頭には逆転され、2009年にはヤクルトにも逆転された(横浜=6位、ヤクルト=3位)。3シーズン連続90敗を唯一記録している球団である(2008年-2010年)。そのほか、2シーズン連続90敗を記録している(1954年-1955年)。2シーズン連続90敗は過去に高橋(トンボ)ユニオンズ・近鉄パールズ(バファロー)が記録しているが、現存する12球団では唯一の記録である。3年連続90敗以上はこれまで延べ5チームが喫した2年連続を上回るプロ野球ワースト新記録。また、横浜のシーズン90敗以上は通算6度目。こちらも近鉄の5度を抜くワーストの屈辱となった。最下位に20回は消滅したチームも含めて両リーグトップ。現存するセ・リーグ6球団の中で、唯一巨人相手に、ノーヒットノーランを達成した投手が(移籍選手も含めて)いない。また巨人相手に騒動となる乱闘を起こしていない。伝統的に先発完投型の投手が少なく、平成に入ってからセ・リーグの中で唯一沢村栄治賞受賞者のいない球団である(2010年シーズン終了時点。ちなみに最後の受賞者は1983年の遠藤一彦)。最多勝投手も1993年の野村弘樹、15勝以上挙げた投手も1999年の川村丈夫を最後に輩出していない。