交流戦での成績

2005年から始まったセ・パ交流戦では2008年から3年連続最下位(最高は2007年の3位)。さらに2010年6月12日(対オリックス戦)において12球団で最も早く交流戦通算100敗目を喫した。2010年終了時、在籍する日本ハムを除く11球団で唯一ダルビッシュ有に負けていない。2010年5月21日の札幌ドームでの日本ハム戦では、それまで自己新記録である31イニング連続無失点だったダルビッシュからターメル・スレッジがソロホームランを放ち記録を止め、内川聖一の内野ゴロ、村田修一のタイムリーで3点を奪い、黒星をつけている。営業・ファンサービス[編集]以前は巨人戦のみ内野自由席を指定席として販売していたが、2005年以降行われていない。200?年から、レフト側外野指定席の一部を対戦カード別年間指定席として発売するようになった。2007年は三塁側内野指定席の一部についても「ビジターシート」として対戦カード別年間指定席が発売された。2005年から、エグゼクディブ・アドバイザーの石橋貴明とんねるず)の意向で、横浜スタジアムの可動席前(一・三塁付近)にあったネットが撤去された。

選手とファンとの距離感が縮まり、試合前や勝利時には選手とのコミュニケーションが取れるようになっている。この付近の席に人気が集中したため、2006年からFA席・FB席新設という形で事実上のチケット値上げが行われた。試合前・試合中に行われるイベントの種類・回数はかなり多く、攻守交代時のうち半分程度は何らのイベントが行われている。以下は2007年時点のもの。スピードガンコンテスト(試合ごとに異なる募集形式で選ばれた10名がマウンドから投げる、ホーム最終戦はマスコミ記者対抗戦が行われるのが恒例。読売新聞グループ各社の記者には必ずブーイングが飛ぶ)スタプリタイム(オーロラビジョンを使用した写真撮影、試合前と試合中に数回ずつ)ベイスターズバズーカ(客席に子供向けのシャツやカラーボールを発射、試合中に3〜4回程度)ハマスタダンスコンテスト(5回裏終了後。オーロラビジョンを使用したダンスコンテスト、一番多く映った人に賞品が送られる。賞品は2006年がグローブ、2007年がデサント提供の年間指定席ペア招待券)帽子の投げ入れ(勝利した場合のみ)第二ヒーローインタビュー(試合勝利後に正面レストラン外に設置されたテラスから、影のヒーローなどを中心にインタビューが行われる。

球場の外からテラスを見上げる形になり、当日試合を見られなかった人も勝利の余韻に浸ることが出来る。ただし天候状態不良、ナイターの試合終了時間が遅い場合は、行わない場合がある。)横浜スタジアムでは交流戦と相手チームのマスコットが来場している時、ならびに(本球場での)同一カードシーズン最終戦に限り、7回にビジターの応援歌が流れる。

株主構成 2009年4月1日現在
株式会社東京放送ホールディングス67万株(51.54%・BS-TBS保有分と合わせTBSグループとして69.23%保有
株式会社ニッポン放送40万株(30.77%)
株式会社BS-TBS23万株(17.69%)
「放映権(日本プロ野球)」も参照
東京放送ホールディングス筆頭株主(事実上のオーナーと目される)でありながら、傘下(子会社)の放送局であるTBSテレビ・TBSラジオ&コミュニケーションズでは、対巨人戦以外の中継はめったに行われない。巨人戦以外は視聴率と聴取率が取れない事にも起因している。テレビ中継は、通常はテレビ神奈川が単独で放送[29]し、同局で放送しないデーゲーム分のみ、自社またはテレビ東京系列(対中日戦はテレビ愛知、対阪神戦はテレビ大阪)の中継で補っている。フジテレビも放映権は保有しているが、現在は同局では放送せず、対戦相手の地元系列局(対阪神戦は関西テレビ、対ソフトバンク戦はテレビ西日本)制作中継のために行使しているのが現状である。ラジオ中継は、TBSラジオが基幹局を務めるJRN系、ニッポン放送が基幹局を務めるNRN系において裏送りも含めて中継している。主に、巨人戦が雨天中止になった時の予備カードや、巨人戦がないときに放送される。新旧親会社の球団経営に対する手腕の差[編集]マルハ傘下時代は、1989年以前はオーナーの道楽的存在、もしくは親会社の広告塔的存在としての評価に留まり、地元・横浜でも不人気に喘ぐことが多かったが、1990年に就任した中部慶次郎オーナー(当時)のもと、積極的に球団の経営改善と地元密着に取り組み、その第1弾として1992年オフに球団名から親会社名を外して「横浜ベイスターズ」と変更。

それ以降、1993年オフの主力選手大量解雇や歴代監督の交代劇等で波紋を起こすことも多かったが、その一方で石井琢朗進藤達哉鈴木尚典三浦大輔に代表される生え抜きの新戦力育成と駒田徳広のFA獲得等でチームを大きく体質改善し、1998年には日本シリーズ制覇に至る。経営面でも二軍を「湘南シーレックス」として独立採算制を試みるなどの施策が行われ、一時は球団の黒字転換を実現したこともあった。ところが、親会社がTBS(現:東京放送ホールディングス)に代わり、マルハから出向していた大堀隆球団社長(当時)が2002年オフで退任すると途端に経営状態が悪化、2003年度には巨額の赤字を計上してしまう。これ以降チームの弱体化や各種スキャンダルの噴出が顕著になり、またマルハ時代は育成・補強の方針が首尾一貫しており的確な対応がとられていたチーム編成でもその場凌ぎのトレードを連発したり、ネームバリュー重視の補強がスポーツ紙に素破抜かれたりするなど場当たり的な対応が多くなり、結果的に現在に至る低迷につながっている。

これについて、球団の親会社依存体質からの脱却と地元密着、チームの体質改善に積極的に取り組んだマルハに対して、TBSはもともと球団経営に興味がない、または親会社のコンテンツ確保が第一目的(だとしても、現状はとても有効活用できているとは言い難い)と思われ、経営やチーム強化については二の次という印象が強いうえ、その手腕も稚拙(チームが商業主義、ショウアップ第一主義に走りすぎている、球団全体が1989年以前に戻ったかそれより悪化した)と批判されることが多い。成績の低迷と共にTBSと横浜市横浜スタジアムとの関係も著しく悪化しており、その険悪ぶりが西武への身売り直前の福岡野球(クラウンライターライオンズ)と福岡市の関係に準えられ、危惧する声も出ている。1998年の優勝前後に複数年契約を連発し失敗したことへの反省から、契約は単年契約を基本としている。しかしながら、首位打者内川聖一、2年連続本塁打王村田修一らは個人成績では年俸に見合った活躍といえるものの、それがチーム成績に反映される結果となっていないため、「貰いすぎ」「彼らに甘いから、選手が個人成績ばかりに執着してチームが強くならない」との声も多い。

それ以前に高木豊も1992年はオフに年俸の交渉がまとまらず、年俸調停を申請。この結果、高木は球団の提示額よりわずかな上積みを勝ち取ったが、翌年は不調に終わり、これが同年オフの大量解雇の要因になっている。球団関連会社からファンマガジン『月刊ベイスターズ』を発売(毎月25日)していた。やくみつる山本哲士といった辛口のコラムニスト陣が球団を容赦なく批判した(両者共に2007年より休載)ことで有名。漫画家のみずしな孝之は『月刊ホエールズ』(当時)への投稿がきっかけで漫画家デビューし、1999年に連載復帰、今も続いている。2010年12月号を持って休刊。