試合の消化とユニフォームについて

毎年、他球団に比較して試合消化が遅い。雨天中止などによってヤクルト戦がよく流れ、シーズン終了間際にまとめて組まれる事がある。屋外球場でも瀬戸内側にある阪神甲子園球場マツダスタジアムに比べて関東は雨が降りやすいことや、収入面での影響が大きい巨人戦や阪神戦は多少の雨でも強行することなどが要因として挙げられる。かつては静岡で公式戦やキャンプをやっており、近年では山梨県で公式戦を毎年行っている。そのため静岡・山梨両県にファンが多数存在する。他には横浜のベッドタウンともいえる、東京23区南部(大田区・品川区など)や多摩地方(八王子市や町田市)、球団発祥の地の山口県にも今なお熱烈なファンが多数存在する。
ユニフォームの変遷


下関時代
1950年〜1951年白は「WHALES」。グレーは「Whales」と「WHALES」を併用。白とグレーの「WHALES」は球団ロゴが左胸についたシールズ型。1951年ロゴが筆記体の「W」に変更される。同時にビジター用の定番となる「TAIYO」の印が初登場。1952年胸に「TAIYOWHALES」と書かれたビジター用が登場。この年監督に就任した小西得郎ピッツバーグ・パイレーツのビジター用(胸ロゴが「PITTSBURGH」)を参考にしたものである。このフルレターユニフォームはシーズンオフに松竹ロビンスと合併したため1年しか使われなかったが、1959年に1年だけ復活している。洋松時代[編集]1953年松竹ロビンスと合併し大洋松竹ロビンスに名称変更。黒いロゴと赤いロゴはホーム用で春・秋用。ノースリーブで赤いロゴのユニフォームは夏用だった。ビジター用は「TaiyoShochikuRobins」の頭文字を取って筆記体で「TSR」。1954年球団本体がようやく合併し洋松ロビンスとなる。ホーム用とビジター用は同じデザイン。


川崎時代
1955年松竹が撤退し、大洋ホエールズに戻る。同時にロゴの中に線が入ったユニフォームが登場。左袖に「KANAGAWA」の印が入る。左袖のマークはK・N・G・Wの4文字がAを取り囲む形となっている。この年に新しい本拠地に定めた神奈川(かながわ)の4文字がいずれも「あ」を母音とする点に着目したもので、神奈川に対する思いを表現したものとなっている。1955年〜1958年ブルックリン・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。左袖のワッペンは最初は「KANAGAWA」だったが、1957年から親会社の「まるはマーク」に変更。1959年〜1962年クリーム地に橙色の「Whales」ロゴ。1959年のみ帽子マークは「T」と「W」を重ね合わせたものを使用し、ビジター用は「TAIYOWHALES」とチーム名を全て表記したものを使用。翌1960年から帽子マークは「T」となり、ビジター用は再び「TAIYO」表記に。この1960年から地色が白となり、胸番号が入る。1961年には左袖にチャンピオンマークが入る。1963年1年間だけ白地に赤の「Whales」ロゴ(黒い縁取り入り)。ビジター用の「TAIYO」のロゴが太くなり、ラインがオレンジ色から赤に変更される。1964年〜1972年白地に黒の「Whales」ロゴ(赤い縁どり入り、レターが逆転)。1968年に帽子の印が筆記体の「W」となる。この「W」の書体は、当時のワシントン・セネタースの帽子と同じ。2005年には、ワシントン・ナショナルズの帽子として復活した。背中に名前が入るのもこのユニフォームからである。ホームゲーム用は「KAWASAKI」と本拠地の川崎市を意味する英文字が、ビジター用は選手の名前を英文字でそれぞれ使われた。最初、東京オリンピックで来日した外国人選手が、大洋のホームゲームのナイター中継を観て「このチームは全員、KAWASAKIという選手なのか?」と言ったという。その後、ホーム用は選手名のものと併用される。1973年白地でオレンジ色のロゴが1シーズンだけ復活。背番号の上の「KAWASAKI」(ビジター用のみ。ホーム用は選手名)もこれが最後。1974年〜1977年基本カラーが湘南電車カラーと呼ばれたものになる(経緯については後述)。ホーム用は、白地でないものを採用。オレンジ色地に緑の「Whales」ロゴが入ったユニフォームを使用。ビジター用は緑地に橙色「TAIYO」ロゴとなっている。パンツはホーム・ビジター両方ともベルトレス。1977年後半から、袖の「丸に『は』(まるは)」マークが「鯨に乗った少年」のイラストに変更。


ホエールズ時代
1978年〜1992年本拠地が川崎から横浜への移転を期に、球団名が「横浜大洋ホエールズ」となり、チームカラーが紺一色になる。ホーム用は、白地に胸に本拠地名のロゴ「YOKOHAMA」(紺色)、左袖に「TAIYO」(同)。帽子は紺色でマークは白で「W」。ビジター用は上着が紺色に白(ホーム用と逆)で「TAIYO」、左袖に「WHALES」。「TAIYO」、「WHALES」のロゴはこれが最後。パンツはグレー。Aクラス入りがわずか3回ながら、15年に渡って使用され、スリムなデザインが受け、ビジター用のユニフォームが全国の草野球チームで使用されるほどだった。スパイクはローリングス(日本での発売元はアシックス)を使用、当時は12球団唯一の採用であった。


ベイスターズ時代
1993年〜チーム名が横浜ベイスターズとなり、ユニフォームを一新。チームカラーのマリンブルーと呼ばれる青[33]を基調とし、スパイクも青地に白ラインとなる。ユニフォームは第3ボタンまで脱着可能(後は飾りボタン)のプルオーバータイプとなる。背番号、胸番号、選手名は日本球界で初めてカッパー・プレート・ゴシックと呼ばれる製版業で使われる書体を採用。途中若干のマイナーチェンジはあったものの、球団史上最も長い16シーズン採用されたデザインとなった。ホーム用は、白地に青のピンストライプ。青地に白の縁取りの「BayStars」のロゴ。胸番号、背番号は黒、選手名は青となる。ビジター用は、上着が青、パンツが白で、袖とパンツに2本ライン(上着は白、パンツは青)が入る。胸ゴロは白ので「YOKOHAMA」の文字とβの印、選手名、背番号、胸番号は白。1996年〜大矢明彦監督就任と同時に、帽子のマークが若干変更になり、星の数が3つから1つになる。2001年〜スパイクの色が白地に青ラインになる。2003年〜パンツの2本ラインが細くなる。

2004年〜袖の2本ラインが細くなる。2006年〜ビジター用の左胸のβの後ろにある星のマークが消え、「YOKOHAMAβ」のみとなる。ホーム用の白地が明るくなり、ピンストライプ部分が刺繍からプリントになる。2009年〜横浜開港150周年に合わせてホーム・ビジターとも一新。胸元にyokohamaの頭文字にちなみ「Yネック」を採用。プロ野球では2001年のオリックス・ブルーウェーブ以来となる前開きでないプルオーバータイプを採用する。胸番号・背番号がゴシック体のような書体になる。アンダーシャツ、ベルト、スパイクの色が紺。帽子のマークから☆マークが消え、「β」のみになる。ホーム用はピンストライプがなくなり、左胸に「β」の印、右腹部に背番号。両肩に銀色の星マークが入る。「BAYSTARS」の大文字ロゴがパンツの左側ラインに入る。背ネームは幅狭。ビジター用はグレー地、白のピンストライプ、前面に筆記体の「Yokohama」の文字、左腹部に背番号。ビジターのみ帽子のツバの色が青色。背ネームはホームに比べて幅広。2010年主催試合の初戦に限り、ホーム用の両肩の星マークの色を「金星をつかむ」という意味を込めて金色に変更。ただし実際には初戦以外でも使用されている。

交流戦限定ユニフォーム
2005年〜2006年ホーム用はピンストライプがなくなって左胸には「β」の印、右袖に背番号。TBSのロゴが入った。ビジター用は灰色の下地に前面に筆記体で「Yokohama」の文字、ホーム用と同じく右袖にも背番号。2007年〜2008年ホーム用のみとなり、チームカラーの青を一切使わない紺ベースのユニフォーム。左胸には「β」の印、右胸に背番号が紺に金の縁取り。両脇には横浜赤レンガ倉庫をイメージした臙脂色が用いられる。楽天交流戦ユニフォーム(ホーム用)と非常に良く似ている。2009年~2010年は登場せず。夏季限定ユニフォーム[編集]2004年から毎年夏季限定ユニフォームを採用している。いずれも8月主催試合(2010年は7月中旬から8月いっぱい)でのホーム用のみ。2004年〜2005年は白の下地の前面に「BayStars」のロゴが入り脇下が青で西武ライオンズのデザインと非常に似ていた。両年とも期間終了後に選手のサインをいれファンへプレゼントされる。背番号の氏名ローマ字は記載されていない。2006年〜2007年は白地の前面にブロック体で「BAYSTARS」の刺繍、その左上の方に背番号、左肩に「yokohama」、背中には背番号のみで首周りは青色で肩付近にかけてマリンブルーにし、帽子はマリンブルー地に「B」のみ。「ベータ・キャップ」と称される。2010年は3年ぶりに夏季限定ユニホームが登場した。デザインは通常ホーム用をベースに、ラグランスリーブ部はグラデーション入りの青として背番号にも金の縁取りが入る。キャップは通常ビジター用をベースに、マーク部が金文字となる。交流戦・夏季限定ともに、2年ごとにデザインが変更される予定である。

毎年、他球団に比較して試合消化が遅い。雨天中止などによってヤクルト戦がよく流れ、シーズン終了間際にまとめて組まれる事がある。屋外球場でも瀬戸内側にある阪神甲子園球場マツダスタジアムに比べて関東は雨が降りやすいことや、収入面での影響が大きい巨人戦や阪神戦は多少の雨でも強行することなどが要因として挙げられる。かつては静岡で公式戦やキャンプをやっており、近年では山梨県で公式戦を毎年行っている。そのため静岡・山梨両県にファンが多数存在する。他には横浜のベッドタウンともいえる、東京23区南部(大田区・品川区など)や多摩地方(八王子市や町田市)、球団発祥の地の山口県にも今なお熱烈なファンが多数存在する。
ユニフォームの変遷


下関時代
1950年〜1951年白は「WHALES」。グレーは「Whales」と「WHALES」を併用。白とグレーの「WHALES」は球団ロゴが左胸についたシールズ型。1951年ロゴが筆記体の「W」に変更される。同時にビジター用の定番となる「TAIYO」の印が初登場。1952年胸に「TAIYOWHALES」と書かれたビジター用が登場。この年監督に就任した小西得郎ピッツバーグ・パイレーツのビジター用(胸ロゴが「PITTSBURGH」)を参考にしたものである。このフルレターユニフォームはシーズンオフに松竹ロビンスと合併したため1年しか使われなかったが、1959年に1年だけ復活している。洋松時代[編集]1953年松竹ロビンスと合併し大洋松竹ロビンスに名称変更。黒いロゴと赤いロゴはホーム用で春・秋用。ノースリーブで赤いロゴのユニフォームは夏用だった。ビジター用は「TaiyoShochikuRobins」の頭文字を取って筆記体で「TSR」。1954年球団本体がようやく合併し洋松ロビンスとなる。ホーム用とビジター用は同じデザイン。


川崎時代
1955年松竹が撤退し、大洋ホエールズに戻る。同時にロゴの中に線が入ったユニフォームが登場。左袖に「KANAGAWA」の印が入る。左袖のマークはK・N・G・Wの4文字がAを取り囲む形となっている。この年に新しい本拠地に定めた神奈川(かながわ)の4文字がいずれも「あ」を母音とする点に着目したもので、神奈川に対する思いを表現したものとなっている。1955年〜1958年ブルックリン・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。左袖のワッペンは最初は「KANAGAWA」だったが、1957年から親会社の「まるはマーク」に変更。1959年〜1962年クリーム地に橙色の「Whales」ロゴ。1959年のみ帽子マークは「T」と「W」を重ね合わせたものを使用し、ビジター用は「TAIYOWHALES」とチーム名を全て表記したものを使用。翌1960年から帽子マークは「T」となり、ビジター用は再び「TAIYO」表記に。この1960年から地色が白となり、胸番号が入る。1961年には左袖にチャンピオンマークが入る。1963年1年間だけ白地に赤の「Whales」ロゴ(黒い縁取り入り)。ビジター用の「TAIYO」のロゴが太くなり、ラインがオレンジ色から赤に変更される。1964年〜1972年白地に黒の「Whales」ロゴ(赤い縁どり入り、レターが逆転)。1968年に帽子の印が筆記体の「W」となる。この「W」の書体は、当時のワシントン・セネタースの帽子と同じ。2005年には、ワシントン・ナショナルズの帽子として復活した。背中に名前が入るのもこのユニフォームからである。ホームゲーム用は「KAWASAKI」と本拠地の川崎市を意味する英文字が、ビジター用は選手の名前を英文字でそれぞれ使われた。最初、東京オリンピックで来日した外国人選手が、大洋のホームゲームのナイター中継を観て「このチームは全員、KAWASAKIという選手なのか?」と言ったという。その後、ホーム用は選手名のものと併用される。1973年白地でオレンジ色のロゴが1シーズンだけ復活。背番号の上の「KAWASAKI」(ビジター用のみ。ホーム用は選手名)もこれが最後。1974年〜1977年基本カラーが湘南電車カラーと呼ばれたものになる(経緯については後述)。ホーム用は、白地でないものを採用。オレンジ色地に緑の「Whales」ロゴが入ったユニフォームを使用。ビジター用は緑地に橙色「TAIYO」ロゴとなっている。パンツはホーム・ビジター両方ともベルトレス。1977年後半から、袖の「丸に『は』(まるは)」マークが「鯨に乗った少年」のイラストに変更。


ホエールズ時代
1978年〜1992年本拠地が川崎から横浜への移転を期に、球団名が「横浜大洋ホエールズ」となり、チームカラーが紺一色になる。ホーム用は、白地に胸に本拠地名のロゴ「YOKOHAMA」(紺色)、左袖に「TAIYO」(同)。帽子は紺色でマークは白で「W」。ビジター用は上着が紺色に白(ホーム用と逆)で「TAIYO」、左袖に「WHALES」。「TAIYO」、「WHALES」のロゴはこれが最後。パンツはグレー。Aクラス入りがわずか3回ながら、15年に渡って使用され、スリムなデザインが受け、ビジター用のユニフォームが全国の草野球チームで使用されるほどだった。スパイクはローリングス(日本での発売元はアシックス)を使用、当時は12球団唯一の採用であった。


ベイスターズ時代
1993年〜チーム名が横浜ベイスターズとなり、ユニフォームを一新。チームカラーのマリンブルーと呼ばれる青[33]を基調とし、スパイクも青地に白ラインとなる。ユニフォームは第3ボタンまで脱着可能(後は飾りボタン)のプルオーバータイプとなる。背番号、胸番号、選手名は日本球界で初めてカッパー・プレート・ゴシックと呼ばれる製版業で使われる書体を採用。途中若干のマイナーチェンジはあったものの、球団史上最も長い16シーズン採用されたデザインとなった。ホーム用は、白地に青のピンストライプ。青地に白の縁取りの「BayStars」のロゴ。胸番号、背番号は黒、選手名は青となる。ビジター用は、上着が青、パンツが白で、袖とパンツに2本ライン(上着は白、パンツは青)が入る。胸ゴロは白ので「YOKOHAMA」の文字とβの印、選手名、背番号、胸番号は白。1996年〜大矢明彦監督就任と同時に、帽子のマークが若干変更になり、星の数が3つから1つになる。2001年〜スパイクの色が白地に青ラインになる。2003年〜パンツの2本ラインが細くなる。

2004年〜袖の2本ラインが細くなる。2006年〜ビジター用の左胸のβの後ろにある星のマークが消え、「YOKOHAMAβ」のみとなる。ホーム用の白地が明るくなり、ピンストライプ部分が刺繍からプリントになる。2009年〜横浜開港150周年に合わせてホーム・ビジターとも一新。胸元にyokohamaの頭文字にちなみ「Yネック」を採用。プロ野球では2001年のオリックス・ブルーウェーブ以来となる前開きでないプルオーバータイプを採用する。胸番号・背番号がゴシック体のような書体になる。アンダーシャツ、ベルト、スパイクの色が紺。帽子のマークから☆マークが消え、「β」のみになる。ホーム用はピンストライプがなくなり、左胸に「β」の印、右腹部に背番号。両肩に銀色の星マークが入る。「BAYSTARS」の大文字ロゴがパンツの左側ラインに入る。背ネームは幅狭。ビジター用はグレー地、白のピンストライプ、前面に筆記体の「Yokohama」の文字、左腹部に背番号。ビジターのみ帽子のツバの色が青色。背ネームはホームに比べて幅広。2010年主催試合の初戦に限り、ホーム用の両肩の星マークの色を「金星をつかむ」という意味を込めて金色に変更。ただし実際には初戦以外でも使用されている。

交流戦限定ユニフォーム
2005年〜2006年ホーム用はピンストライプがなくなって左胸には「β」の印、右袖に背番号。TBSのロゴが入った。ビジター用は灰色の下地に前面に筆記体で「Yokohama」の文字、ホーム用と同じく右袖にも背番号。2007年〜2008年ホーム用のみとなり、チームカラーの青を一切使わない紺ベースのユニフォーム。左胸には「β」の印、右胸に背番号が紺に金の縁取り。両脇には横浜赤レンガ倉庫をイメージした臙脂色が用いられる。楽天交流戦ユニフォーム(ホーム用)と非常に良く似ている。2009年~2010年は登場せず。夏季限定ユニフォーム[編集]2004年から毎年夏季限定ユニフォームを採用している。いずれも8月主催試合(2010年は7月中旬から8月いっぱい)でのホーム用のみ。2004年〜2005年は白の下地の前面に「BayStars」のロゴが入り脇下が青で西武ライオンズのデザインと非常に似ていた。両年とも期間終了後に選手のサインをいれファンへプレゼントされる。背番号の氏名ローマ字は記載されていない。2006年〜2007年は白地の前面にブロック体で「BAYSTARS」の刺繍、その左上の方に背番号、左肩に「yokohama」、背中には背番号のみで首周りは青色で肩付近にかけてマリンブルーにし、帽子はマリンブルー地に「B」のみ。「ベータ・キャップ」と称される。2010年は3年ぶりに夏季限定ユニホームが登場した。デザインは通常ホーム用をベースに、ラグランスリーブ部はグラデーション入りの青として背番号にも金の縁取りが入る。キャップは通常ビジター用をベースに、マーク部が金文字となる。交流戦・夏季限定ともに、2年ごとにデザインが変更される予定である。

毎年、他球団に比較して試合消化が遅い。雨天中止などによってヤクルト戦がよく流れ、シーズン終了間際にまとめて組まれる事がある。屋外球場でも瀬戸内側にある阪神甲子園球場マツダスタジアムに比べて関東は雨が降りやすいことや、収入面での影響が大きい巨人戦や阪神戦は多少の雨でも強行することなどが要因として挙げられる。かつては静岡で公式戦やキャンプをやっており、近年では山梨県で公式戦を毎年行っている。そのため静岡・山梨両県にファンが多数存在する。他には横浜のベッドタウンともいえる、東京23区南部(大田区・品川区など)や多摩地方(八王子市や町田市)、球団発祥の地の山口県にも今なお熱烈なファンが多数存在する。
ユニフォームの変遷


下関時代
1950年〜1951年白は「WHALES」。グレーは「Whales」と「WHALES」を併用。白とグレーの「WHALES」は球団ロゴが左胸についたシールズ型。1951年ロゴが筆記体の「W」に変更される。同時にビジター用の定番となる「TAIYO」の印が初登場。1952年胸に「TAIYOWHALES」と書かれたビジター用が登場。この年監督に就任した小西得郎ピッツバーグ・パイレーツのビジター用(胸ロゴが「PITTSBURGH」)を参考にしたものである。このフルレターユニフォームはシーズンオフに松竹ロビンスと合併したため1年しか使われなかったが、1959年に1年だけ復活している。洋松時代[編集]1953年松竹ロビンスと合併し大洋松竹ロビンスに名称変更。黒いロゴと赤いロゴはホーム用で春・秋用。ノースリーブで赤いロゴのユニフォームは夏用だった。ビジター用は「TaiyoShochikuRobins」の頭文字を取って筆記体で「TSR」。1954年球団本体がようやく合併し洋松ロビンスとなる。ホーム用とビジター用は同じデザイン。


川崎時代
1955年松竹が撤退し、大洋ホエールズに戻る。同時にロゴの中に線が入ったユニフォームが登場。左袖に「KANAGAWA」の印が入る。左袖のマークはK・N・G・Wの4文字がAを取り囲む形となっている。この年に新しい本拠地に定めた神奈川(かながわ)の4文字がいずれも「あ」を母音とする点に着目したもので、神奈川に対する思いを表現したものとなっている。1955年〜1958年ブルックリン・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。左袖のワッペンは最初は「KANAGAWA」だったが、1957年から親会社の「まるはマーク」に変更。1959年〜1962年クリーム地に橙色の「Whales」ロゴ。1959年のみ帽子マークは「T」と「W」を重ね合わせたものを使用し、ビジター用は「TAIYOWHALES」とチーム名を全て表記したものを使用。翌1960年から帽子マークは「T」となり、ビジター用は再び「TAIYO」表記に。この1960年から地色が白となり、胸番号が入る。1961年には左袖にチャンピオンマークが入る。1963年1年間だけ白地に赤の「Whales」ロゴ(黒い縁取り入り)。ビジター用の「TAIYO」のロゴが太くなり、ラインがオレンジ色から赤に変更される。1964年〜1972年白地に黒の「Whales」ロゴ(赤い縁どり入り、レターが逆転)。1968年に帽子の印が筆記体の「W」となる。この「W」の書体は、当時のワシントン・セネタースの帽子と同じ。2005年には、ワシントン・ナショナルズの帽子として復活した。背中に名前が入るのもこのユニフォームからである。ホームゲーム用は「KAWASAKI」と本拠地の川崎市を意味する英文字が、ビジター用は選手の名前を英文字でそれぞれ使われた。最初、東京オリンピックで来日した外国人選手が、大洋のホームゲームのナイター中継を観て「このチームは全員、KAWASAKIという選手なのか?」と言ったという。その後、ホーム用は選手名のものと併用される。1973年白地でオレンジ色のロゴが1シーズンだけ復活。背番号の上の「KAWASAKI」(ビジター用のみ。ホーム用は選手名)もこれが最後。1974年〜1977年基本カラーが湘南電車カラーと呼ばれたものになる(経緯については後述)。ホーム用は、白地でないものを採用。オレンジ色地に緑の「Whales」ロゴが入ったユニフォームを使用。ビジター用は緑地に橙色「TAIYO」ロゴとなっている。パンツはホーム・ビジター両方ともベルトレス。1977年後半から、袖の「丸に『は』(まるは)」マークが「鯨に乗った少年」のイラストに変更。


ホエールズ時代
1978年〜1992年本拠地が川崎から横浜への移転を期に、球団名が「横浜大洋ホエールズ」となり、チームカラーが紺一色になる。ホーム用は、白地に胸に本拠地名のロゴ「YOKOHAMA」(紺色)、左袖に「TAIYO」(同)。帽子は紺色でマークは白で「W」。ビジター用は上着が紺色に白(ホーム用と逆)で「TAIYO」、左袖に「WHALES」。「TAIYO」、「WHALES」のロゴはこれが最後。パンツはグレー。Aクラス入りがわずか3回ながら、15年に渡って使用され、スリムなデザインが受け、ビジター用のユニフォームが全国の草野球チームで使用されるほどだった。スパイクはローリングス(日本での発売元はアシックス)を使用、当時は12球団唯一の採用であった。


ベイスターズ時代
1993年〜チーム名が横浜ベイスターズとなり、ユニフォームを一新。チームカラーのマリンブルーと呼ばれる青[33]を基調とし、スパイクも青地に白ラインとなる。ユニフォームは第3ボタンまで脱着可能(後は飾りボタン)のプルオーバータイプとなる。背番号、胸番号、選手名は日本球界で初めてカッパー・プレート・ゴシックと呼ばれる製版業で使われる書体を採用。途中若干のマイナーチェンジはあったものの、球団史上最も長い16シーズン採用されたデザインとなった。ホーム用は、白地に青のピンストライプ。青地に白の縁取りの「BayStars」のロゴ。胸番号、背番号は黒、選手名は青となる。ビジター用は、上着が青、パンツが白で、袖とパンツに2本ライン(上着は白、パンツは青)が入る。胸ゴロは白ので「YOKOHAMA」の文字とβの印、選手名、背番号、胸番号は白。1996年〜大矢明彦監督就任と同時に、帽子のマークが若干変更になり、星の数が3つから1つになる。2001年〜スパイクの色が白地に青ラインになる。2003年〜パンツの2本ラインが細くなる。

2004年〜袖の2本ラインが細くなる。2006年〜ビジター用の左胸のβの後ろにある星のマークが消え、「YOKOHAMAβ」のみとなる。ホーム用の白地が明るくなり、ピンストライプ部分が刺繍からプリントになる。2009年〜横浜開港150周年に合わせてホーム・ビジターとも一新。胸元にyokohamaの頭文字にちなみ「Yネック」を採用。プロ野球では2001年のオリックス・ブルーウェーブ以来となる前開きでないプルオーバータイプを採用する。胸番号・背番号がゴシック体のような書体になる。アンダーシャツ、ベルト、スパイクの色が紺。帽子のマークから☆マークが消え、「β」のみになる。ホーム用はピンストライプがなくなり、左胸に「β」の印、右腹部に背番号。両肩に銀色の星マークが入る。「BAYSTARS」の大文字ロゴがパンツの左側ラインに入る。背ネームは幅狭。ビジター用はグレー地、白のピンストライプ、前面に筆記体の「Yokohama」の文字、左腹部に背番号。ビジターのみ帽子のツバの色が青色。背ネームはホームに比べて幅広。2010年主催試合の初戦に限り、ホーム用の両肩の星マークの色を「金星をつかむ」という意味を込めて金色に変更。ただし実際には初戦以外でも使用されている。

交流戦限定ユニフォーム
2005年〜2006年ホーム用はピンストライプがなくなって左胸には「β」の印、右袖に背番号。TBSのロゴが入った。ビジター用は灰色の下地に前面に筆記体で「Yokohama」の文字、ホーム用と同じく右袖にも背番号。2007年〜2008年ホーム用のみとなり、チームカラーの青を一切使わない紺ベースのユニフォーム。左胸には「β」の印、右胸に背番号が紺に金の縁取り。両脇には横浜赤レンガ倉庫をイメージした臙脂色が用いられる。楽天交流戦ユニフォーム(ホーム用)と非常に良く似ている。2009年~2010年は登場せず。夏季限定ユニフォーム[編集]2004年から毎年夏季限定ユニフォームを採用している。いずれも8月主催試合(2010年は7月中旬から8月いっぱい)でのホーム用のみ。2004年〜2005年は白の下地の前面に「BayStars」のロゴが入り脇下が青で西武ライオンズのデザインと非常に似ていた。両年とも期間終了後に選手のサインをいれファンへプレゼントされる。背番号の氏名ローマ字は記載されていない。2006年〜2007年は白地の前面にブロック体で「BAYSTARS」の刺繍、その左上の方に背番号、左肩に「yokohama」、背中には背番号のみで首周りは青色で肩付近にかけてマリンブルーにし、帽子はマリンブルー地に「B」のみ。「ベータ・キャップ」と称される。2010年は3年ぶりに夏季限定ユニホームが登場した。デザインは通常ホーム用をベースに、ラグランスリーブ部はグラデーション入りの青として背番号にも金の縁取りが入る。キャップは通常ビジター用をベースに、マーク部が金文字となる。交流戦・夏季限定ともに、2年ごとにデザインが変更される予定である。